
研究テーマ
低温X線回折イメージング・トモグラフィーによる生体粒子三次元構造の可視化
生物は、数ナノメートル大のタンパク質から数マイクロメートル大の細胞まで、幅広いサイズの階層構造によって形成されています。細胞の内部では、タンパク質の運動が連鎖することで一つの機能を発現、複数の機能が複雑に組み合わさって、生命活動が実現されていると考えられています。この階層性を網羅的に観察することは、生物を理解する上で非常に重要ですが、これらを全て観察可能な手法はないので、観察対象毎に顕微鏡法を使い分けます。細胞程度の大きさでは、光学顕微鏡法による観察が主流です。光学顕微鏡法では、数百ナノメートル分解能まで観察可能で、構造のコントラストを上げるための染色処理を伴うことが多いです。一方で、タンパク質単位での観察には、透過型電子顕微鏡法が用いられます。この方法では、瞬間凍結処理によって疑似的に時間停止状態にした同種タンパク質を大量に観察し、統計的に扱うことで様々な運動状態のタンパク質三次元構造を数オングストローム分解能で可視化します。しかし、タンパク質以上細胞未満の構造として、DNA鎖の集まりである染色体や、ミトコンドリアといった細胞小器官がありますが、これらの観察手法は現状確立されていません。近年では、既存の手法の延長として、蛍光物質を導入したうえで情報学的な手法と組み合わせて、光学顕微鏡の分解能を向上する超解像顕微鏡法、透過型電子顕微鏡の試料厚さ制限に合わせて、細胞を100ナノメートル未満に薄くスライスする方法がありますが、いずれも構造を破壊する恐れがある処理が必要という欠点があります。特に、染色体構造はこれらの処理に対して非常に脆弱であり、処理なしで観察するための新手法が必要です。
本研究は、上記問題を解決する一手法として、マイクロメートルサイズの粒子内部構造をナノメートル分解能で三次元的にまるごと可視化する、X線回折イメージング・トモグラフィーを開発するものです。X線回折イメージングとは、粒子にX線を照射した際の透過光が後方に結ぶ干渉模様から粒子の投影像を可視化する方法で、SPring-8といった大型放射光施設から供給される高強度平面波X線を使用することで実証されました。この方法では、試料に対して構造破壊する恐れのある処理が不要で、細胞1個の構造を細胞小器官の詳細までまるごと可視化できます。加えて、X線回折イメージング・トモグラフィーは、様々な方向からX線を照射して得た投影像をCT再構成することで、観察結果を三次元へ拡張する方法です。
X線回折イメージング・トモグラフィーには、問題点が2つあります。第一に、実験的な課題として、生体試料を扱う際の放射線損傷があります。水分を多量に含む生体試料にX線を長時間照射すると、酸素の気泡が生じて試料が破壊されてしまうため、これを防ぐ必要があります。私の研究室では、この対策として、瞬間凍結試料を真空中で試料を液体窒素で冷却し続け、昇温を防止しながら長時間の測定を行うための専用回転ステージを開発し、気泡発生を抑制しながらの長時間のトモグラフィー測定に対応しています。この方法を低温X線回折イメージング・トモグラフィーと呼びます。第二の課題として、観測可能な情報が、試料干渉模様の振幅成分だけである点があります。X線は光、則ち電磁波の一種であるため、干渉模様は波の振幅と位相を持ちますが、位相は観測不可能であるため、これを補う必要があります。そのためには、位相回復と呼ばれる最適化問題を解く必要があり、計算機を用いた反復計算によって達成します。この際に、正解の位相を導出できれば、復元された干渉模様の逆フーリエ変換が、試料投影像となります。この位相回復を行うためのアルゴリズムが、X線回折イメージング最大の課題であり、私の研究は主にこの課題を解決するものとなっています。現状、試料投影像を安定的に回復し、CT再構成するところまでは完成しており、現在は得られた三次元構造を観測された干渉模様振幅と再度比較し、分解能を最大まで高める手順を開発しています。
研究のきっかけ
私が研究している分野は、所謂生物物理学と呼ばれる学問で、物理学的に生命を理解することを目指しています。私は高校生の頃から、物理学的に化学を記述できるなら、生化学を物理学的に解釈することで、生命を物理法則に落とし込むことができると考えていたりしました。後に慶應義塾の理工学部で、1950年代頃に量子力学の祖の一人であるシュレディンガーが同じようなことを考えて提唱した生物物理学に出会い、この分野に進みました。これを知った際の生物物理学の講義で、研究概要の中で述べた課題とX線回折イメージングを知り、あまりの独自性から強く興味をひかれました。このような経緯から、私は今の研究室に入り、先輩方からX線回折イメージングの研究を引き継ぎ、現在に至るまで研究を継続してきた次第です。生物物理学は、生物のマクロな機能等をモデル化して生命を理解するアプローチ(神経の情報伝達等)と、生物の構成物質の物性から生命を理解するアプローチ(タンパク質構造解析等)があり、私は現在後者のアプローチで研究しています。


研究上の工夫等
ここまでは、X線回折イメージング・トモグラフィーを、生体観察の一手法として説明しましたが、実は試料については大きさが条件を満たせば何でもよいのです。X線回折イメージング・トモグラフィーという手法だけなら、国内外で主に材料系の構造解析手法として、研究が行われています。しかし、多くの場合は放射線損傷の影響がほぼ皆無な金属等、無機物質を扱っており、放射線損傷に気を遣う低温実験となると、私のチームを除き海外にもう一例と激減します。生体試料はもちろん、プラスチック等の有機材料についても、冷却なしでは構造破壊を免れず、常温の場合は溶けないようにX線を弱く照射するといった手段が取られています。X線回折イメージングは、分解能が照射X線強度に依存するため、常温での実験には限界があります。このような課題から、冷却しながら最大強度のX線を照射することのできる本研究は、有機材料の分野にも応用が可能です。この一例として、手法の基礎構築も兼ねて、プリンタートナー粒子の三次元構造解析を行い、2025年11月に論文化しました。
社会とのつながり
本研究は、生物物理学においては、染色体の分布、遺伝子修復の原理、遺伝子異常のメカニズム等を解明する上で、有用な観察手法を構築するものです。染色体の構造は、遺伝子の転写、複製、修復等、生命の制御機構の解明は、生物工学や医学への応用が期待されます。例えば医学では、細胞の癌化による染色体構造変化、ダウン症等に見られる染色体の構造異常等を観察できれば、これらの有効な治療法、予防法の構築に繋がると期待できます。
また、私は現在、米デンプン粒子の構造解析を進めています。デンプンは、多数のグルコース分子が結合してできた生体巨大分子で、これも低温X線回折イメージング以外では非侵襲観察できない試料です。デンプンの研究は世界的に古くから行われていますが、いずれも染色や切断、溶解の処理が施されており、その構造、生成過程について、様々な説が提唱されています。しかし、いずれも一粒子丸ごとそのまま観察された例はなく、決定打に欠ける状態です。低温X線回折イメージング・トモグラフィーによって構造を明らかにすれば、生成過程を推測でき、人工光合成技術の発展に繋がると期待されます。
今後の展望(研究)
一先ず、大域構造が既知のデンプンの構造解析を通じ、最大分解能で三次元構造を可視化する方法を構築します。今後、構築した手法を論文化し、それを参照してデンプンの構造解析結果をさらに論文化する予定です。最後に酵母細胞を丸ごと構造解析し、細胞小器官や染色体の微細構造を明らかにします。これにて、低温X線回折イメージング・トモグラフィーの基礎が全て完成し、社会実装が現実的になります。
今後の展望(キャリア)
SPring-8が2030年にSPring-8-Ⅱにアップグレードされた暁には、よりX線回折イメージング・トモグラフィーに適した放射光が供給され、さらに高い分解能を実現可能になります。東北大学のNano-Terasでは、X線回折イメージングの一類型としてタイコグラフィが実用化、提供されていますが、私はこれと同じような段階までSPring-8-Ⅱで低温X線回折イメージング・トモグラフィーを社会実装することを目指したいと考えています。視野の可視化に長けたタイコグラフィと合わせ、現在まで不可視だった分解能領域の構造が明らかにできるようになり、企業の技術開発においても有用となることを成果で示していく所存です。そのためにも是非、SPring-8のある理化学研究所播磨で研究を続けたいと考えています。


社会へのメッセージ
研究概要を細々と説明してまいりましたが、要するに私の研究は、今見えない世界を見えるようにするものです。今現在、1ナノメートルと100ナノメートルのものは見ることができる一方で、間の10ナノメートルのものを見ることができないので、これを見ようとしています。X線回折イメージングでは、私は生物を扱っていますが、原理上は何でも内部構造を調べることができます。そのため、同分野そのものが、産業分野から最近注目されている話題で、あと10年以内には一般の皆様にも恩恵のある成果が出始めるものと考えています。私だけでなく分野全体の動向にも是非ご期待ください。
企業の方へのメッセージ
近年、産業向け放射光施設Nano-Terasが供用を開始され、本記事をご覧の企業様でも、ビームタイム枠をお持ちの方もいらっしゃるかと存じます。現状では、結晶や蛍光分析が主で、他に軟X線イメージングが知られているかと存じます。私たちのコヒーレントイメージングの分野では、テンダーX線領域でのタイコグラフィが先行して社会実装に近づいており、注目を集めているでしょう。しかしながら、すでに社会実装済みの方法は、装置が金属試料を想定しているため、冷却することは考えられていません。現在、私の低温X線回折イメージング・トモグラフィーがSPring-8-Ⅱでの社会実装を目指した開発終盤に差し掛かっている一方で、私の研究室OBがNano-Terasで低温タイコグラフィの開発を進めておりますので、共々ぜひご注目ください。