
研究テーマ
グローバルに広がるイスラーム主義組織の思想と活動
イスラーム主義について研究しています。イスラーム主義とは、「宗教としてのイスラームへの信仰を思想的基盤とし、公的領域におけるイスラーム的価値の実現を求める政治的なイデオロギー」と定義されます(末近浩太『イスラーム主義』岩波書店、2018年、2頁)。つまりイスラームの教えに基づいて、国家や社会を変革することを目指すイデオロギーです。ただし一口にイスラーム主義といっても、その内実は多様です。暴力を用いる組織もあれば、議会活動を通して自らの理想を実現しようとする組織もあります。またそもそも、組織や個人によってイスラームの解釈が異なるために、彼らが目指す国家や社会の姿にも様々なバリエーションがあります。
博士論文ではヒズブ・タフリールという組織に注目し、彼らがどのような思想に基づいて活動を展開しているかを明らかにしています。この組織はイスラームの教えに基づく国家を新たに樹立し、そこで神の命令(イスラーム法)を実現することを目指していますが、それを達成するために暴力を用いることは否定しています。また、ヒズブ・タフリールは当初パレスチナで設立されましたが、現在は中東のみならず、東南アジアや中央アジア、南アジア、ヨーロッパなどにも広がっています。こうした彼らの実態を、アラビア語資料の読解や聞き取り調査をもとに解き明かしています。
研究のきっかけ
高校生の時に、「イスラーム国」(IS)が「建国」を宣言したというニュースに触れました。彼らは人質の処刑映像をインターネット上で公開する手法を採用しており、実際にSNSでその映像を目にした友人も多くいたようです。それ以前から、米同時多発テロ事件(9.11)を起こしたアル=カーイダなどは知っていましたが、リアルタイム(かつ高校という日常生活の中)でそうした出来事に触れたことは大きな衝撃でした。
その後、法学部に入学して中東やイスラームに関する授業を履修し、その背後にある歴史や思想を学びました。その中で、イスラーム教徒(ムスリム)の内部には様々な立場があること──そして、「イスラーム国」はごく一部のムスリムに支持されたに過ぎないこと──がわかりました。2年生の冬にはエジプトとレバノンを訪れましたが、そこで暮らす人々はニュースで目にする戦闘員とは全く異なる「普通の」人々でした。
しかし、「イスラーム国」が採用したような暴力的な手段を否定しながらも、イスラームに基づいた政治を行うべきだと考えるムスリムがいることは事実ですし、各国の法律や政策はイスラームに反していると考える人々もいます。暴力性と思想的な厳格さは区別されるべきでしょう。そこで非暴力でありながら、現在の政治のあり方を厳しく批判するヒズブ・タフリールという組織に注目し、彼らの思想を解明する現在の研究に至りました。

研究上の工夫等

イスラーム主義の研究では、思想的な特殊性や固有性に目がいきがちです。事実、イスラーム主義者は国家や社会の中でイスラームの教えを実現することを目指しており、彼らの思想は政教分離の考え方とは大きく異なっています。
しかし、彼らも現代に生きている以上、その活動のすべてをイスラームの教義だけで説明することはできません。例えば、彼らはインターネットやSNSといったツールを利用して政府を批判し、人々の支持や共感を集めていますが、こうした現象はイスラームに特有のものではなく、日本や西洋におけるイスラームとは無関係な団体でも頻繁に見られるものです。つまり、イスラーム主義組織の思想や活動を理解する上では、その固有性のみならず現代的な普遍性にも目を向ける必要があります。
難しい点は、イスラーム主義者(少なくとも、私が研究しているヒズブ・タフリール)自身はもっぱらイスラーム的なメッセージを発信し、その思想的な固有性や西洋的な価値観との違いをアピールしていることです。したがって、彼らのメッセージを読み解くだけでなく、その裏にある同時代的な普遍性を考える必要があります。それを可能にするのは、イスラーム以外の政治現象や運動に関する様々な理論や研究です。こうした問題意識のもと、私の研究では政治学の理論や分析枠組みも用いることで、イスラーム主義の固有性と普遍性の双方を捉えることを目指しています。
社会とのつながり
イスラーム主義者の活動は今日、グローバルに拡大しています。ムスリムが多数派を占めるイスラーム世界はもちろん、西洋諸国のようにムスリムがマイノリティとなっている地域でも活発な動きが見られます。さらに、インターネットやSNSといったテクノロジーを用いることで、国境の壁はますます低くなっています。
しばしば報道されるように、テロや戦争といった出来事は私たちの社会にも直接的に影響するものです。例えば、2023年に始まったガザ戦争はアメリカ・イスラエルとイランの戦争にまで発展し、エネルギー問題などの形で日本の経済や社会に影響を与えています。報道でたびたび名前を目にするイラン・イスラーム共和国体制、パレスチナのハマース、レバノンのヒズブッラー、イエメンのフーシー派などはいずれもイスラーム主義を奉じる主体であり、イスラーム主義の理解は社会にとっても極めて重要な課題といえます。
ただし、テロや戦争の直接的な当事者である組織だけを見ていても、その全体像は理解できないでしょう。それはあくまでも、イスラーム主義の一角に過ぎません。その背後には、多様な思想を持つイスラーム主義者(さらには「普通の」ムスリム)が存在しています。暴力を肯定する人としない人、議会政治に参加する人と民主主義を拒絶する人、現在の政治がイスラームの教えに適っていると考える人とそれに反対する人──多様な人々が持つ思想と論理を明らかにすることで、国際政治の重要な一側面を占めるイスラーム主義の動態が明らかになると考えています。グローバル化が進む今日、イスラーム主義の理解はますます我々から切り離せない課題です。
今後の展望(研究)
博士課程で研究を進める中で、一つの組織がグローバルに拡大する現象に注目するようになりました。特に、あるイスラーム主義組織の活動や主張が、各国の政治的・社会的な環境に応じてどのように変化するかに関心を持っています。世界中のあらゆる地域における活動を一人で研究することは不可能ですが、それぞれの地域の専門家や様々なディシプリンを扱う研究者と協力することで、グローバルなイスラーム主義組織の動態を多角的に解明したいと考えています。また今後、デジタル技術やAIなどの発展を踏まえて、イスラーム主義者のネットワーク分析などに取り組むことも計画しています。
今後の展望(キャリア)
資料の読解や聞き取り調査といった地道な作業を通して、イスラーム主義に関する新たな理解を提示することが目標です。また、海外の研究機関などに所属して調査や研究を進めるとともに、各国の研究者とも研究交流を行うことで、国内外のイスラーム主義研究のさらなる発展に貢献したいと考えています。
同時に、その成果を専門家のみにとどめるのではなく、広く社会に還元することも目指しています。研究者のみならず、民間企業や行政機関、NGOなど多くの組織や分野においてもイスラーム主義に関する情報や経験は蓄積されているでしょう。それゆえ、アカデミア以外にも様々な関係者と交流することで、より広範に研究の成果を発信し社会に還元したいです。

企業の方へのメッセージ
中東情勢やイスラーム主義組織の動態が我々の社会生活や経済活動に多面的な影響を及ぼしている今日、研究者のみならずメディアやNGO、省庁、民間企業等に所属する方々とも定期的な交流を行い、現地情勢等に関する意見交換などを行いたいと考えています。現在、中東・イスラーム地域をテーマとした勉強会の設置を構想しています。研究者以外にも、ご関心をお持ちの方に広くご参加いただきたいと考えていますので、ご興味がありましたら上記連絡先までお気軽にご連絡ください。
学生、他研究機関へのメッセージ
グローバル化が進行する今日、様々な面で地域を越えた動きが活発化しています。例えば、現在進行するイランにおける戦争を見ただけでも、ホルムズ海峡の封鎖による世界経済へのインパクトや、イラン・ロシア間の軍事支援の変化とウクライナ戦争への影響、トランプ大統領の支持率の下落、湾岸諸国をはじめとする中東地域秩序の再編など、各地に連鎖的な変化をもたらしています。それゆえ、地域やディシプリンの壁を越えて、様々な専門を持つ皆さんと協力して研究を進めていきたいと考えています。